URLではなく、電話番号を入力する

インターネットが家庭へ普及する前、日本には数多くの草の根BBSがあった。

接続先はURLでもIPアドレスでもない。

電話番号だった。

自宅のパソコン
              ↓
        通信ソフト
              ↓
        モデム
              ↓
        公衆電話網
              ↓
        相手側のモデム
              ↓
        一台のホストコンピュータ

利用者は、通信ソフトへ番号を登録し、モデムから電話をかけた。

接続音のあとに文字が現れ、局名、案内、ログイン画面が表示される。

その電話番号の先にある世界へ入れるのは、原則として、その番号へ電話をかけた者だけだった。

草の根BBSでは、電話番号一つが、住所であり、入口であり、共同体の境界だった。

草の根とは、規模だけを意味しない

NIFTY-Serve、PC-VAN、ASCII-NETなどは、企業が全国規模で提供した商用パソコン通信だった。

それに対して草の根BBSは、個人、仲間のグループ、学校、地域団体、小規模な事業者などが、自分たちでホストを用意して運営した。

多くは全国共通の巨大サービスではない。

一つの町、一つの趣味、一つの機種、一人のSYSOPを中心に成立していた。

商用パソコン通信
        = 大規模な運営主体が、全国へ統一サービスを提供する
        
        草の根BBS
        = 手元のパソコンと電話回線から、自分たちの通信空間を開く

草の根という語には、小さいという意味だけでなく、通信空間を利用者側で作れるという感触があった。

一台のパソコンが、町になる

草の根BBSを開くための基本構成は単純だった。

  • ホストとして動かすパソコン
  • BBSホストプログラム
  • 着信用の電話回線
  • モデム
  • 記録を保存するディスク
  • 運営するSYSOP

PC-9800シリーズが広く使われたが、X68000、MSX、FM系など、複数の機種向けにホスト環境が存在した。

ホストプログラムも一種類ではない。

mmmMASHKTBBSBIG-ModelWWIVなど、異なる操作体系と文化を持つソフトウェアが使われた。

同じ「掲示板」でも、メニュー、コマンド、会議室、メール、ファイル転送、プロフィール、ゲームの作法は局ごとに違った。

ホストソフトは、単なる掲示板アプリではない。町の道路、役所、郵便局、倉庫、遊び場をまとめて作るOSに近かった。

一回線なら、一度に一人しか入れない

電話回線が一本なら、同時に接続できる利用者も一人だった。

誰かが接続している間、次の人には話中音が返る。

電話をかける
              ↓
        話中
              ↓
        切る
              ↓
        少し待つ
              ↓
        また電話をかける

回線を増やせば同時接続者を増やせる。

しかし、そのためには電話回線、モデム、シリアルポート、ホスト側の処理能力、運営費が必要になる。

長時間接続する利用者がいれば、ほかの利用者が入れない。

そのため、接続時間の上限、ファイル取得時の作法、混雑時の譲り合いが、技術仕様と共同体規範の両方として生まれた。

現在のWebでは、混雑は遅延やエラーとして抽象化される。

草の根BBSでは、混雑は話中音として聞こえた。

共同体の混み具合が、電話網の音として利用者へ返ってきた。

SYSOPは、管理者であり家主だった

草の根BBSの運営者は、一般にSYSOP――system operatorと呼ばれた。

SYSOPは、遠いデータセンターにいる匿名の管理者ではない。

多くの場合、ホストのすぐ近くにいた。

  • 会員登録を承認する
  • 会議室を作る
  • 不適切な書込みを削除する
  • ファイルを整理する
  • モデムや回線を直す
  • ディスク容量を空ける
  • 利用者とチャットする
  • オフラインミーティングを開く
  • 電話代と機材費を負担する

ホストが自宅にあれば、家族の電話回線、部屋の温度、停電、引越し、就職、進学までが運営条件になる。

サーバーと生活が分離されていなかった。

草の根BBSでは、運営者の暮らしが、そのままネットワークの可用性だった。

掲示板、メール、ライブラリ、チャット

BBSはbulletin board systemの略だが、提供されたものは掲示板だけではなかった。

会議室

話題ごとに書込みを残し、後から接続した人が読む。

リアルタイムで同席していなくても会話が続く。

ローカルメール

同じ局の会員同士で私信を送る。

ただし、多くの局では、そのメールは局の外へ自動的には届かなかった。

ファイルライブラリ

フリーソフト、通信ソフト、画像、MIDIデータ、文書、ゲーム、ドライバなどを保存し、アップロード・ダウンロードした。

SYSOPチャット

接続中の利用者とSYSOPが、その場で文字を交わす。

単回線の局では、利用者同士の多人数チャットより、ホスト側にいるSYSOPとの対話が中心になることもあった。

ゲームや人工無能

ホストプログラムや追加機能によって、占い、対戦、育成、簡単な会話プログラムなどが置かれた。

一つの局は、情報の置場であると同時に、その局固有の遊び場だった。

読む時間と、接続する時間を分ける

電話料金は接続時間に応じて増えた。

そのため、利用者はオンラインでゆっくり読むのではなく、まとめてログを取得し、切断してから読む方法を発達させた。

接続する
              ↓
        新着をまとめて取得する
              ↓
        切断する
              ↓
        オフラインで読む
              ↓
        返事を書く
              ↓
        再接続して送信する

通信ソフト、ログ管理、オフラインビューアーは、単なる便利機能ではない。

電話料金と回線占有を減らすための生活技術だった。

現在の「オンライン」と「オフライン」は、接続の有無を示す抽象語になった。

草の根BBSでは、その境界に電話料金のメーターがあった。

距離が、そのまま料金になる

インターネットでは、遠いWebサイトを見ても、通常は距離に比例して料金が増えない。

草の根BBSでは違った。

ホストが同一市内にあるか、隣接区域か、遠距離かによって、接続費用が変わった。

そこで利用者は、BBS電話帳を見ながら、興味だけでなく市外局番も確認した。

面白そうな局
              と
        安く接続できる局

は、必ずしも同じではない。

この料金構造が、草の根BBSを地域共同体にした。

局が地域情報を扱ったからローカルだっただけではない。

遠くへ行くほど高くなる電話網が、利用者を近隣の局へ集めた。

1995年に始まったNTTのテレホーダイは、登録した番号への23時から翌朝8時までの通話を定額にした。

深夜になると接続者が増え、朝になると切断する。

日本の家庭ネットワークには、電話料金が作った夜行性の生活リズムがあった。

BBS電話帳――検索エンジン以前の入口

接続先を知らなければ、草の根BBSへは入れない。

電話番号は、雑誌、口コミ、宣伝用CG、ほかのBBS、そして紙のBBS電話帳から得た。

電波新聞社は、1980年代後半から『パソコン・データベース電話帳』を刊行した。

1991年秋号の『ワープロ/パソコン通信BBS電話帳』は544ページあり、1996年版にはCD-ROMも付属した。

電話帳に並んでいたのは、単なるサーバー一覧ではない。

  • 局名
  • 電話番号
  • 通信速度
  • 運営時間
  • 使用機種
  • ホストソフト
  • 会員制かどうか
  • 主な話題
  • SYSOP名

といった、別々の共同体へ入るための座標だった。

検索エンジン以前、ネットワークを探すための検索結果は、紙に印刷されていた。

実在した局の断片

ATLAS

草の根BBS ATLASは、運営者自身の記録によれば1989年3月1日に開局した。

掲示板、電子会議、電子メール、チャット、フリーソフトウェアライブラリを提供し、登録会員は1000人を超えた。

会員同士の親睦を目的とするボウリング大会も開かれた。

1997年3月末に活動を停止したが、現在は復刻ページに当時の構成が残されている。

ここでは、オンライン共同体とオフラインの会合は別世界ではなかった。

文字で知り合った者が、同じ土地で顔を合わせた。

Midnight Driving

埼玉県久喜市のMidnight Drivingは、1995年に正式開局した。

名称は、当初、着信回線をテレホーダイ時間だけ開放していたことに由来する。

ホストにはMASH(mmm)が使われ、後に専用回線を増やして24時間運営へ移った。

1996年9月に閉局したが、2012年に仮想化とTELNET/Web gatewayを使って再起動された。

これは、消えたBBSを静的な画面写真ではなく、操作できる環境として保存する試みでもある。

Candy-NETwork

飴玉通信局は1990年にX68000とNet-cockで動き始め、1992年にCandy-NETworkとして本格開局した。

1996年にはWeb上へ実験的なBBSを置き、1998年に草の根BBSからWebへ完全移行した。

草の根BBSが一夜で消えたのではなく、電話回線上の共同体が少しずつインターネットへ形を変えた例である。

ミンキームーンネットワーク

群馬県で始まったミンキームーンネットワークは、実家の電話回線を使い、当初は夜間だけ開局していた。

運営者の記録では、後に24時間化し、最盛期の会員は約1850人に達した。

しかし、引越しで電話番号が変わると、多くの利用者が入口を失った。

現在ならサービス名を検索できる。

当時は電話番号を知らなければ接続できず、番号変更は町の移転というより、地図から町が消えることに近かった。

東京BBS

東京BBSは、草の根と呼ぶには巨大な規模へ成長した例として語り継がれている。

1987年に開局し、複数回線、多数の会議室と利用者を抱えた。

個人・ボランティアを基礎とする局が拡張されると、草の根と商用サービスの境界がどこにあるのかが曖昧になる。

草の根は、小規模であることだけでは定義できない。

誰が所有し、誰が運営し、どのような関係で利用者を迎えたかという、統治の形でもあった。

一つのBBSは、ほかのBBSと自動ではつながらない

草の根BBSを現在のインターネットと同じものとして考えると、重要な違いを見失う。

インターネット
        複数のネットワークを共通プロトコルで接続する
        
        草の根BBS
        利用者が一つのホストへ電話をかけ、そのホスト内部を利用する

あるBBSの会員名、メール、掲示板、ファイルは、原則としてその局の中にあった。

別のBBSへ行くには、一度切断し、別の電話番号へかけ直す。

同じハンドル名を使っても、アカウントは別だった。

一人の利用者が複数の局へ所属することで、情報や文化が人間の手によって運ばれた。

局Aで知る
              ↓
        切断する
              ↓
        局Bへ電話する
              ↓
        自分の言葉で伝える

ネットワーク同士を結んだのは、常時接続されたバックボーンだけではない。

複数の局を巡回する人間だった。

濃さは、閉鎖性からも生まれた

一つの局に入るまでには、電話番号を知り、通信設定を合わせ、接続し、会員登録を行い、局ごとの操作を覚える必要があった。

その面倒さは、参加障壁だった。

同時に、そこまでして入った者が繰り返し戻ることで、局ごとの言葉、冗談、序列、作法、対立、友情が濃くなった。

  • 特定機種の利用者
  • アニメや同人文化
  • MIDIとコンピュータ音楽
  • プログラミング
  • 無線
  • 地域情報
  • 鉄道
  • ゲーム
  • フリーソフト制作

大規模サービスでは埋もれる話題が、小さな局では町全体の中心になった。

ただし、親密さは常に温かさだけを意味しない。

SYSOPの権限、古参と新参の差、内輪の規範、入会審査、追放、ログの管理もあった。

小さな共同体は、自由であると同時に、管理者の人格と判断が隅々まで届く空間だった。

phreakingとの接点

草の根BBSは、電話網の穴を利用する技術ではない。

しかし、phreakingと同じ基盤の上にあった。

  • 電話番号を入口にする
  • 回線状態を音で知る
  • モデムの交信音を聞く
  • 話中、切断、ノイズ、速度低下から網の状態を読む
  • 電話料金と区域が行動を決める
  • 一般利用者が自分の端末から通信システムへ入る

phreakerが巨大な電話網の内部を逆向きに読んだとすれば、草の根BBSのSYSOPは、その電話網の端に自分の小さな情報世界を接続した。

電話会社が作った巨大な網
                    の端に
        個人が作った一台のホストを置く

受話器の向こうに人間がいるはずだった電話回線へ、個人がコンピュータを常駐させる。

電話番号は、人へつながる番号から、情報空間へつながる番号になった。

消えたのは、画面だけではない

1990年代半ば以降、家庭向けインターネットが普及すると、草の根BBSの多くは閉局し、Webへ移行し、またはTELNET接続へ変わった。

閉局時に失われたものは、プログラムだけではない。

  • 会議室のログ
  • ローカルメール
  • ファイルライブラリ
  • 会員プロフィール
  • SYSOPの運営記録
  • 宣伝CG
  • BBS電話帳の掲載情報
  • オフラインミーティングの写真
  • 接続音と待ち時間
  • 局ごとのコマンド操作

個人宅のディスクにあった共同体は、機械の故障、引越し、電話番号変更、運営者の生活変化によって消えた。

Web archiveだけでは、電話をかけ、接続を待ち、メニューを選ぶ時間感覚までは保存しにくい。

Midnight Drivingの再起動のように、当時のホスト環境を仮想化し、TELNETやWeb gatewayから操作できる形で残す試みには、動態保存としての意味がある。

この標本が示す境界

日本の草の根BBSは、現在のSNSの未完成版ではない。

そこには、現在とは違うネットワークの単位があった。

  • URLではなく電話番号が住所だった
  • サーバーの所在地が料金へ反映された
  • 一回線が一人分の入口だった
  • SYSOPの生活が稼働時間を決めた
  • 一つのホストが一つの共同体だった
  • 別の局との接続は、人間の移動によって行われた
  • オンラインとオフラインの境界に電話料金があった
  • 紙の電話帳がネットワークの地図だった

インターネットは、世界中のネットワークをつないだ。

草の根BBSは、その前に、個人が一台のパソコンから一つの世界を開けることを示した。

日本の草の根BBSは、小さなインターネットではない。電話番号一つ、一台のホスト、一人のSYSOPの周囲に生まれた、独立した電子の町だった。

関連標本

資料・出典