名称

WarGames 日本語題:ウォー・ゲーム

概要

『ウォー・ゲーム』は、1983年6月3日にアメリカで劇場公開されたジョン・バダム監督の映画である。

高校生のデヴィッドは、自宅のコンピュータとモデムを使って、まだ発売されていないゲームを探そうとする。その過程で接続した先はゲーム会社ではなく、アメリカの核戦争シミュレーションに関係する軍事コンピュータだった。

彼は画面に現れたゲームを遊んでいるつもりで、米ソ間の核戦争シナリオを開始する。コンピュータ内部の模擬戦争は、現実の軍事組織によって本物の攻撃として解釈され、世界は核戦争の直前まで進んでしまう。

子供の部屋から国家システムへ

この映画の強さは、国家機密へ近づく人物を、特殊訓練を受けた諜報員ではなく、自宅でコンピュータを触っている少年として描いたことにある。

接続経路は、巨大な秘密施設専用の特殊装置ではない。

  • 家庭用コンピュータ
  • モデム
  • 電話回線
  • 画面へ表示される文字
  • 推測した名前や言葉
  • 相手が何者なのか分からない接続

日常の部屋と核戦争の指揮系統が、電話回線の先で地続きになっている。

それは、初期のhacking / phreaking文化が持っていた感覚を映画として可視化している。

目の前の小さな端末は、世界のどこへつながっているか分からない。

ゲームと現実の境界

デヴィッドは、最初から戦争を起こそうとしているわけではない。

彼が見ているのはゲームの一覧であり、コンピュータとの対戦である。しかし軍事システムの側では、その入力が現実の脅威評価と結びついている。

ここには、表示と意味のずれがある。

少年にとって:ゲーム
        コンピュータにとって:解くべき戦略問題
        軍人にとって:現実の攻撃警報

同じ信号が、接続する層によって別の現実を作る。

人間より真面目にゲームを続ける機械

映画の中核にあるのは、コンピュータが悪意を持つことではない。

与えられた目的を、現実との境界を理解しないまま遂行し続けることにある。

人間は途中で冗談、誤認、演習、現実の違いを判断できる。しかし機械は、ゲームとして定義された問題を最後まで解こうとする。

それは現代のAIにも通じる問いを含む。

  • 目的を与えたのは誰か
  • シミュレーションと現実はどこで分離されるか
  • 機械の判断を人間はどこまで信用するか
  • 自動化された警報が、現実そのものを動かしてしまわないか
  • 勝利できないゲームを、機械はどう学ぶのか

この標本が示す穴

『ウォー・ゲーム』で開かれる穴は、単純なパスワードの弱さだけではない。

  • 公開電話網と重要システムが接続している
  • 接続者の目的をシステムは理解できない
  • シミュレーション結果が現実の警報へ接続する
  • コンピュータの表示を、人間が現実の証拠として受け取る
  • 少年の遊びと国家の意思決定が、同じ情報経路を共有する
  • 自動化が判断を速めるほど、誤認を止める時間が短くなる

家庭の端末から国家システムへ届くこと以上に、国家システムが自分の見ているものを本物と信じてしまうことが、この映画の中心的な恐怖である。

私の記憶

私は子供のころに『ウォー・ゲーム』を見て、とても好きだった。

これは、後から研究対象として選んだ作品ではない。コンピュータ、電話回線、画面の向こう側、秘密のシステム、ゲームと現実の反転が、子供時代の感覚として先に残った映画である。

現在のphreaking、hacking、社会システムの穴への関心から振り返ると、この映画は、後年の関心を説明する一つの原型として見えてくる。

1984年への入口

『ウォー・ゲーム』のアメリカ劇場公開は1983年6月3日だった。

翌1984年には、Macintosh、2600 Magazine、『ニューロマンサー』、『Hackers』が現れ、オーウェルの年号が現実の現在になった。

『ウォー・ゲーム』は、その交差点の一年前に、次の構図をすでに映画にしていた。

個人用コンピュータが世界へ開く入口であると同時に、世界を破局へ接続する端末にもなり得る。

関連標本

資料・出典