一つのBBSから、別のBBSへ
草の根BBSは、基本的に一局ごとに独立していた。
ある局で書いたメールや会議室の発言は、そのホストの中にある。
別の局へ届けるには、利用者自身が切断し、別の番号へ電話し、書き直す必要があった。
FidoNetは、その孤立したBBS同士を、モデムと電話回線で自動的に結んだ。
利用者
↓
近くのBBS
↓ 夜間に別のBBSへ電話
中継BBS
↓
遠くのBBS
↓
別の利用者
常時接続された専用回線ではない。
各BBSが決められた時間に電話をかけ、蓄積していたメッセージをまとめて交換する。
FidoNetは、BBSを一つの巨大ホストへ統合しなかった。独立した町を残したまま、夜行郵便だけを通した。
1984年、二つのノードから始まる
Tom Jenningsの記録によれば、最初の実験では、サンフランシスコのFido #1と、ボルチモアのJohn MadillのFido #2が接続された。
1984年6月ごろ、Fido BBSのソフトウェアへ、別のBBSに電話をかけてメッセージパケットを送る機能が加えられた。
初期の仕組みは単純だった。
メッセージをまとめる
↓
相手の番号へ電話する
↓
パケットを送る
↓
切断する
最初から世界規模のネットワークを設計したのではない。
友人のBBSへ、利用者のメッセージを安く自動配送できないかという実用上の問題から始まった。
二つの個人局のあいだで始まった自動転送が、世界規模の非商用ネットワークへ成長した。
store-and-forward――届くまで預かる
FidoNetは、送り手と受け手が同時に接続している必要がない。
各ノードは、次の配送時間までメッセージを保存する。
相手または中継先へ接続できたとき、まとめて渡す。
作成
↓
保存
↓
夜間配送
↓
中継先で保存
↓
次の配送
↓
到着
これはstore-and-forwardである。
メッセージは即時には届かない。
数時間、場合によっては数日かかる。
しかし、常時接続や高価な専用線がなくても、家庭の電話回線だけで広域ネットワークを作れた。
速度より、到達可能性を選んだ設計だった。
National Mail Hour――人が寝たあとにネットワークが動く
初期FidoNetでは、BBS利用者の接続と、ノード間のメール交換が同じ回線を使った。
そこで、利用者向けのBBSアクセスを止め、ノード間通信を優先する時間帯が設けられた。
米国では深夜の電話料金が安かったこともあり、メール交換は夜中に行われた。
昼・夜
人間がBBSへ接続する
深夜の指定時間
BBS同士が互いへ電話する
人が眠ると、町同士の郵便車が走り始める。
FidoNetのネットワーク時間は、電話料金と生活時間によって設計されていた。
常時接続以前、ネットワークは一日中流れ続けるものではなく、夜になるとまとめて動き出す物流だった。
zone:net/node.point――住所を階層化する
ノード数が増えると、単純な通し番号だけでは管理できなくなった。
FidoNetの住所は、後に次の階層で表されるようになった。
zone:net/node.point
zone:大きな地理圏net:地域ネットワークnode:BBSまたはメールシステムpoint:ノード配下の個人端末など、任意の末端
たとえば、同じ地域のノードは地域ハブへまとめて送る。
遠方への通話回数を減らし、配送費を分担する。
住所体系は、単なる識別番号ではない。
電話料金を抑えるための配送経路を表していた。
nodelist――ネットワーク全体を記録するファイル
FidoNetには、参加ノードを列挙するnodelistがあった。
そこには、
- FidoNet address
- BBS名
- 所在地
- SYSOP名
- 電話番号
- 通信速度
- 対応モデムや機能を示すflag
などが記録された。
nodelistは定期的に更新され、閉局、加入、番号変更、速度変更が反映された。
ネットワークが変化する
↓
nodelistを更新する
↓
各ノードへ配布する
↓
次の配送経路へ使う
現在のDNSやルーティング表とは技術的に違う。
それでも、ネットワークの現在地を一つの配布ファイルとして共有する思想がある。
FidoNetは、接続された機械の一覧を、ネットワーク自身が運ぶ文書として維持した。
Netmail――一人へ送る
Netmailは、特定のFidoNet addressへ送る私信だった。
利用者は自分のBBSへメッセージを預ける。
BBSは宛先を見て、地域ハブや中継ノードへ渡す。
複数の電話接続を経て、相手のBBSへ到着する。
メールアドレスはインターネットのuser@domain形式ではない。
BBS、ノード、地域構造が宛先の中に見えていた。
Echomail――会議室そのものを複製する
FidoNetでは、私信だけでなく、複数のBBSへ共通の公開会議を配布するEchomailが発展した。
一つのBBSで投稿された発言が、購読している別のBBSへ順次複製される。
BBS Aで投稿
↓
地域ハブ
↓
複数のBBSへ配布
↓
各局の利用者が読む
利用者から見ると、地元のBBSにある会議室を読んでいる。
しかし、その会議室は世界中の多数のホストへ複製されている。
Echomailは、利用者を一つの中央サーバーへ集めず、会議室のほうを各町へ配送した。
これはUsenetにも似ているが、FidoNetでは電話回線、BBS、ボランティアの配送組織が基盤だった。
中央がないのに、階層がある
FidoNetは、単一企業の所有する巨大ホストではない。
各ノードは独立したSYSOPが運営した。
一方で、nodelistの管理、地域番号、配送、Echomailの流通には、coordinator、hub、backboneなどの役割が生まれた。
所有
= 各SYSOPが自分のBBSを所有する
配送
= 地域・中継の階層を協力して運営する
分散していることと、組織がないことは同じではない。
低コストで大量のノードを結ぶため、技術的・社会的な階層が必要になった。
規約、選挙、会議のmoderator、coordinatorの権限をめぐる政治も生まれた。
FidoNetは、中央サーバーを持たなかったが、配送を続けるための社会制度を必要とした。
ファイルも夜を移動する
メッセージだけでなく、フリーソフト、シェアウェア、ドライバ、文書などもFidoNetを通じて配布された。
作者が近くのノードへ登録したファイルが、coordinatorやdistribution systemを経由し、数日かけて別地域へ届く。
現在のCDNのような高速配信ではない。
それでも、一人の作者が全国・世界のBBSへソフトウェアを配れる仕組みだった。
作者
↓
地域ノード
↓ 夜間配送
ハブ
↓
各地のBBS
↓
利用者
ネットワークの帯域が小さいほど、何を配送するか、重複をどう避けるか、誰が費用を負担するかが重要になった。
日本の草の根BBSとの接続
日本にも、FidoNet型のネットワークへ参加した草の根BBSや、同様のstore-and-forward型ネットワークが存在した。
ただし、すべての日本の草の根BBSがFidoNetへ接続していたわけではない。
多くの局は独立したまま運営され、別の局間ネットワーク、商用パソコン通信、インターネットゲートウェイへ接続した。
FidoNetは、草の根BBS一般の同義語ではない。
一局ごとに孤立していたBBSを、中央の巨大サービスへ吸収せず、局の自治を残したまま接続する一つの方法だった。
インターネットとは別のネットワーク原理
インターネットでは、パケットが接続中のルーターを通り、比較的短時間で宛先へ運ばれる。
FidoNetでは、メッセージファイルがノードのディスクに保存され、次の電話接続まで待つ。
Internet
常時接続された経路をパケットが進む
FidoNet
断続的に接続するノード間をファイルが旅する
FidoNetにもInternet gatewayが作られた。
しかし、その本質はインターネットの縮小版ではない。
接続されていない時間を含めて成立するネットワークだった。
この標本が示す境界
- ネットワークは常時接続でなくても成立する
- 各ノードの自治と、配送のための階層は両立する
- 電話料金がルーティング設計を決める
- アドレスは識別だけでなく、配送経路と社会組織を表す
- 会議室は中央に置かず、各ホストへ複製できる
- ネットワークの構成員一覧そのものを、ネットワークで配布できる
- 即時性がなくても、到達性と継続性は作れる
FidoNetは、いつでもつながっている機械の網ではない。次に電話できる時刻まで、互いのためにメッセージを預かる町々の連帯だった。
関連標本
- 日本の草の根BBS――電話番号ごとに別の世界があった
- パソコン通信――一つの巨大ホストへ電話をかけた社会
- Usenet、alt.*、地下文書集、TEXTFILES.COM
- Netmail
- Echomail
- nodelist
- SYSOP
- store-and-forward
- zone:net/node.point